2016/5/26

中部経済新聞『老舗探訪』に
松浦薬業の紹介記事が掲載されました。

中部経済新聞(2016年5月24日号)より抜粋

日本初の漢方ゼリー開発 付加価値を高め市場創出

松浦薬業(本社名古屋市)は漢方薬、健康食品の中間加工品を手掛けるメーカー。天然物を科学し、創意工夫する「温故創新」の精神で日本初の漢方内服ゼリーなど、市場創出型の高付加価値製品を生み出し続けている。この4月には販売子会社の松浦漢方(本社名古屋市)を統合して製造と販売を一体化。スピーディーな顧客ニーズの実現に一層力を入れている。

1985年当時の社屋
1985年当時の社屋

1913(大正2年)に生薬問屋「松浦真一商店」として薬問屋街の名古屋・京町(現在の名古屋市中区)で創業。国内産の各種生薬や台湾の海人草、ウコンなどを集荷して医薬品メーカーや薬局に供給した。
創業者の松浦真一氏は「天然物である生薬は品質の格差が大きいので、あくまでも品質第一をモットー」とし、信用第一の経営を実践した。2代目の松浦敬一氏は原料輸入の大半を依存する中国との深い人脈を構築。日中の国交が正常化する10年前の62年に早くも日中友好商社に指定され、中国の貿易部門や科学研究部門と友好関係を深めた。記録では医薬品分野メーカーの日中合作の手伝いをしたこともあったという。

また、敬一氏は74年に名古屋市緑区に工場を建設。生薬を輸入・小分けするのが生業だった問屋から、漢方製剤や抽出エキスなどの中間原料を製造するメーカーへと脱皮を図り、大衆薬メーカーに販路を広げる礎を築いた。94年には愛知県武豊町に大型の冨貴工場を建設、現在は健康食品の中間加工品を含め、300以上あるアイテムを一貫生産している。

水なしで飲める日本初の漢方内服ゼリー
水なしで飲める日本初の漢方内服ゼリー

主要な販路である調剤薬局は経営者の高齢化問題に直面しているがその一方で「勉強熱心な若い薬剤師さんも多く、『なるほど』と思っていただける商品を開発できれば採用していただけるケースが増えている」と3代目の松永忠功社長は話す。そのなるほどと思わせる商品の一つが、創業100周年の節目に発売した漢方内服ゼリー「松浦の芍薬甘草湯(しゃくやくかんぞうとう)ゼリー」。携帯に便利な個包装で足のつりや筋肉のけいれん、腰痛などの急な症状に対し、水なしですぐに飲むことができる。スティックから押し出す際にゼリーが少し砕けながら出てくるように設計されているため、誤嚥(ごえん)の心配もない。

また、漢方内服ゼリーと同時に発売した濃縮液体タイプの漢方製剤「漢方濃縮煎剤シリーズ」は、お湯に溶くだけという手軽さで安定した高品質の煎じ薬を再現できる。これまでに、のどの乾燥感に対応する「麦門冬湯(ばくもんどうとう)29」、排尿困難や頻尿を改善する「牛車腎気丸(ごしゃじんきがん)107」、食欲不振などを改善する「六君子湯(りっくんしとう)43」など6アイテムを商品化している。

これから迎える高齢化社会については肥満や高脂血症など成人病に関連した漢方薬の市場性が期待できるとみて開発を急ぐ構えだ。

まずは人材固める

松浦薬業の歩み

松永忠功さん
「漢方薬は新しいものが出てこない」と言われる中で、とにかく扱いやすい製品の開発を進めている。今回の販売会社の統合は品質管理に一貫性を持たせるほか、製品開発の促進に向けて社内の意思統一を一層図ることが目的。漢方薬も時代とともに営業スタイルを変えていかなくてはいけない。海外輸出はこれからの課題。食品の中間加工品は米国市場などが有望で、まずは社内の人材をしっかり固めていきたい。

1913年 薬問屋街の名古屋・京町で
「松浦真一商店」創業
1952年 株式会社に転換
1962年 松浦薬業に社名変更
1974年 緑工場建設
(名古屋市緑区)
1987年 試験開発センター建設
(名古屋市緑区)
1993年 本社営業所を
名古屋市昭和区に移転
1994年 冨貴工場建設
(愛知県武豊町)
2016年 販売子会社の松浦漢方を
吸収合併

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